ドンキホーテ的な試み

2011-07-29

私は小中高と田舎の学校に通っていたから、グローバル化の受容は大学に入ってからで、同級生に遅れをとっているなという実感を強くしたことがきっかけである。田舎での読書生活は貧困を極めていたから、大学入学後、岩波文庫の社会科学関係の古典を読破した。それだけでなく、必要な外国語もマスターするというドンキホーテ的なプロジェクトを立てたことが出発点である。かくして大学四年間は毎日外国語の授業をいくつもとって、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、中国語、韓国語の勉強に明け暮れた。無茶無謀であったが、どの外国語に対しても興味をもち、おじけづかないという姿勢を得だのは、すべてそのプロジェクトのおかげである。私のドンキホーテ・プロジェクトは順調にはいかず、嵐のなかセーヌ川を進む船が舵棒も折れ、舵手の力も尽き果てるかのような有様になっていった。ちなみにパリ市役所の標語は、「どのような状況でも負けるな。むしろそういう状況のなかから力はつく」である。二〇〇八年春、パリの政治学大学院(シアンスーポ)で教鞭をとった。セーヌ川にかかる橋を渡ったが、川は確かに寒く、河口から上ってくるとかなりの距離になるだろう。私のドンキホーテ・プロジェクトがいかに無謀であったかを、改めて思い知らされた。実際、いくつもの挫折を経ながらも、アメリカの大学院に留学するチャンスをつかんだことが私の第二の出発点である。留学してからはセーヌ川どころか太平洋の真ん中であわや朽ち果ててしまうかのような目に何回かあったが、それも運強く、生き延びてきた。しかし、帰国してからもなかなか道の適応が順調にならなかった。